「自衛隊がいるところが非戦闘地域」、「きれいな辺野古の海を汚してはいけない」といった政治家たちのレトリックを聞くたび、自分ならどうやって反論してやろうかと舌なめずりする上品な人なら、この本、というより香西秀信氏の本は美味しすぎます。立て続けに3冊も読んでしまいました。うち2冊は新書。新書に期待する質と量に、見事に応えてくれる2冊です。
「議論は弱者のするもの」「同じ言葉でも、敵がいえば詭弁、味方がいえば巧妙なレトリック」などと、「生涯いちソフィスト」を偽悪的に名乗る著者の軽妙な語り口は、読んでいてまったくあきません。でもきっと、性格は悪くなるな。
『論より詭弁』 P.8 |
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私もまた、論理的思考に関する正統的な書物に学んだ後で私の本を読もうとする読者からは、低下の二倍から三倍の料金を頂きたい気がする。そのような、正しい論理的思考を身につけた読者を折伏し、私の邪悪なレトリックの世界に引きずり込み、外連芸の論理で堕落させるには、無垢な者をたぶらかすよりも、やはり相当の力業を必要とするからだ。 |
『議論術速成法』では、アリストテレスやキケロがまとめた思考術(「トピカ」と呼ばれる)を、例を挙げながら説明していきます。
・・・というと教科書的ですが、説明のための創作例文ではなく、著者が実際の文章から拾い集めた、具体的な文章の断片なので、必ずしもそのレトリックは明確ではありません。それを「このどこがレトリックなのか。どう反論できるのか?」と考えながら読むのがすこぶる楽しい。特に著者とレトリックの嗜好が近い、福田恆存氏の著作からとった例文は、断片だけ読むのが勿体無いくらいです。
たとえば第1章で、「問いの詭弁」というものが紹介されます。
テロリストが人質を取り、その人質と引き換えに逮捕された同志を解放せよと政府に迫った・・・という背景で、人質の関係者が
テロリストが人質を取り、その人質と引き換えに逮捕された同志を解放せよと政府に迫った・・・という背景で、人質の関係者が
「国家の面子を守ることと、国民の生命を守ることの、どちらが大切なのか」 |
と問うたとします。政府は「国家の面子を守ること」とは答えられませんし、かといって「国民の生命」と答えると、テロリストを解放しなくてはならないことになります。
ここでは、問うた者にとって都合のよういように問いが「名づけ」られている、というわけです。この場合の反論は、同じように「名づけ」ることです。つまり、
「テロリストの卑劣な要求に屈することと、屈しないことの、どちらが正しいのか」 |
これに少し似たものとして、「多問の虚偽」というものがあります。
その問いは、次のような形式を取ります。
その問いは、次のような形式を取ります。
君はもう、奥さんを殴ってはいないのか? (Have you stopped beating your wife?) |
人前でこのようなことを問われたら、さあ、どう答えましょう。