ソフトウェアの品質を学びまくる

ソフトウェアの品質、ソフトウェアテストなどについて学んだことを記録するブログです。

「品質とは何か」を・・・語らない!

 「品質とは何か!」という、一歩間違えると哲学的・衒学的になってしまうテーマを扱うほどの知識も度胸もないことを先に告白したうえで、「品質とは」の話を少し。
ソフトウェア品質知識体系ガイド ?SQuBOK Guide?

ソフトウェア品質知識体系ガイド ?SQuBOK Guide?

 

  SQuBOKガイドでは、利害関係者の視点で分類された、Garvinによる品質の定義を紹介しています。

『SQuBOKガイド』 P.12(ただし並び替えています)
  1. 製造者の視点:品質が仕様に準拠しているか
  2. 製品の視点:品質が固有の製品特性に結びついているか
  3. 価値に基づいた視点:品質は顧客が対価として支払う額に依存する
  4. ユーザの視点:品質が目的に適合しているか
  5. 超越した視点:品質が何かを認識はできるが定義は困難である
 さらには
『SQuBOKガイド』 P.12
 現在は、ユーザの満足を最終ゴールとすることで世界的に概ね合意が得られている。これには石川馨他による日本の「消費者指向」の考え方が欧米に与えた影響が大きい。
ともあり、(4)ユーザの視点が主流のようです。「当たり前品質」「一元的品質」「魅力的品質」といった考え方も、(4)に基づいたものでしょう(ちょっと表にしてみました)。
満たされて 満たされなくて
当然 不満!
当然 - 当たり前
満足! 魅力的 一元的

  ただ個人的には、(4)だと1つのモノに対してユーザごとに品質が決まるというのがどうも気持ち悪い。(3)はトートロジーに陥っているように感じるし、かといって(2)の「固有の品質特性」というのもよくわからず・・・、
 結局古典的な(1)に帰ってしまいたくなります。仕様が明確なら、その項目を数えて、対象のモノがその項目をいくつか満たしているかで、品質をクリアに定量化できるようにも思う。

 ただしこれは、「仕様が正しい限り」という暗黙の前提ありき。誤った仕様をいくら満たしても、品質が高いとは言えない。では「正しい仕様とは何か」というと、それはユーザしか知らない・・・と、これも結局、堂々巡りです。
 その結果、最終的には(5)超越した視点に陥ります。「そうか、品質の定義は、みんなの心の中にあったのか!」という・・・。
 品質の権威であるPhilip B. Crosbyは、著書『Quality Is Free』の中で、こんなことを言っています。
Quality Is Free: The Art of Making Quality Certain

Quality Is Free: The Art of Making Quality Certain

『Quality Is Free』 P.15
 Quality has much in common with sex. Everyone is for it. (Under certain conditions, of course.) Everyone feels they understand it. (Even though they wouldn't want to explain it.) Everyone thinks execution is only a matter of following natural inclinations. (After all, we do get along somehow.) And, of course, most people feel that all problems in these areas are caused by other people. (If only they would take time to do things right.)
【それなり訳】
 品質とセックスは共通点が多い。誰もが(一定の条件のもとでは)それに賛成する。誰もがそれを理解しているつもりでいるが、説明しようとする人はいない。自然の成り行きにまかせて行えばいいと誰もが考えており、結局はそれなりに何とかやっていける。そしてほとんどの人は、問題があるとすればそれは、自分以外の誰かのせいだと思っている。
 品質の権威にして、この言い草。
 無理に定義しなくていいのかも知れませんね。