ソフトウェアの品質を学びまくる

ソフトウェアの品質、ソフトウェアテストなどについて学んだことを記録するブログです。

SQiPシンポジウム2014に参加した! - その1

 有給消化やPDU獲得などまったく意識せず、ソフトウェア品質シンポジウム、通称「SQiP」に行って参りました。SQiPとは、・・・とかから始めるといつまでも書き終わらないので、自分が書きたいことだけを書きます。
 僕にとって今年のSQiPで最もアツかったのは、基調講演
 本会初日の朝と2日目の終わりにそれぞれ、基調講演「1」と「2」があったのですが、まったくタイプの違う、しかしともに圧倒的なプレゼンテーションをぶつけられ、叩きのめされてしまいました。
 1は、東京海上日動システムズ株式会社の横塚裕志氏。2は、東京大学特任教授の濱口哲也氏。
 それぞれ、1951年、1960年の生まれとのことですが、何といいますか、「基調講演系の人」に唯一勝てるはずの「若さ」においてすら惨敗感のある、ずば抜けたプレゼンテーションでした。

基調講演1

 「ビジネスが変わる・・・品質が変わる」
 このタイトルと、横塚氏の肩書「顧問」を事前に見て正直、面白そうとはちっとも思いませんでした。何か実感のわかない、「うん・・・まあそうだね、正しいよね、でもそれだけだよね・・・」という校長先生っぽい話をされそうだなあ、と。
 とんだ見当違いでした。
 横塚氏の話は、まさにタイトルの通り、「ビジネス」と「品質」を明確に結びつけたお話。ぼくたち現場にいる人間の仕事のやり方、品質の考え方を変えないと、もう勝てない。話しているのは、ぼくたちの問題なんです。
 ここでいう「品質」とは何でしょうか。
 それはたとえば「欠陥が少ない」という、ある意味「開発者視点」の品質ではありません。横塚氏はこう言い切っています。「バグを少なくする試みは、これまで十分やってきた、大体いい」
 一方、いわゆる「利用時品質」とも違うように思います。ソフトウェアの出来の善し悪しを超えて、「みんなが使う気になること」「それが素早く、必要なときに提供されること」といった価値のことを、品質と呼んでいます。
 横塚氏はこれまでの品質の形を、次のように表現しています。
トラブル / 生産量 の極小化

 つまり、なるべくものを多く作って、トラブルを少なくすれば、それは良いものである。作れば作るほど儲かる時代です。

 一方これから向かうべきは、まったくベクトルが違います。
 (効果 / 生産量) * スピード の極大化

 「生産量」はどちらも分母にあるのに、かたや極小化、かたや極大化を目指すというのです。どういうことか。

 答えは、「なるべく作らない」。「できるだけ、あるものを使って」「素早く」「効果を出す」ということが、本当に品質につながるといいます。自分の考えている「品質」がいかに狭量なものであったか、のっけから思い知らされました。
 もっとたくさんのキーワードがあったのですが、一部の紹介にとどめます。
 内容はもちろん、スライド自体もZENスタイルの美しいもの。ご自分で作られたと聞いて(偉い人のスライドは専門の誰かが作ると思っていた・・・)トドメを刺されたというわけです。

基調講演2

 濱口氏の講演のテーマは「リスクマネジメントのための失敗学 ―再発防止と未然防止―」
 堅そうです。なぜなぜ5回っぽいです。ハインリッヒの法則とか出てきそうです。氷山の絵も出てきそうです。
 全然違いました。
 まずプレゼンテーションのスタイルが、常軌を逸しています。
 「聴衆の反応を確認しながら、早口にならないように」とかまったく守りません。単位時間あたりの単語数を極限まで高め、聴衆の反応が返ってくる頃にはもう次の言葉が発音されています。適宜挟まれる滑り覚悟ネタが滑っても問題ありません、聴衆がネタに気づいて反応を決める前に、もう次のスタートを切っているのですから。
 恐ろしいことに、その倍速プレゼンテーションで、「聞き取れない言葉」「理解できない内容」が一つもないのです。一体何をどう練習したらこうなるのか、まったく想像ができません。
 そのスタイルを伴って現れるコンテンツがまた、揺るぎなく。
 失敗をどう次に活かすか。何だかよく聞くありきたりなテーマです。でも答えはありきたりじゃありません。
 濱口氏は、「従来」的な失敗の蓄積の仕方はもったいないと嘆いてみせます。
 「同じ失敗を二度と繰り返さないよう、周知徹底する」。何という定型句でしょう。単語登録しているんでしょうか。これじゃダメなんです。
 この講演の幹になるのは、「病院における薬の取り違え」という失敗事例。この実例において当初行われた「再発防止」のための分析へのダメ出しを通して、本当にあるべき再発防止、そして未然防止への道筋が語られます。
 経緯を解きほぐし、「言い訳」という名で糖衣した「真の原因」「背景」「脈絡」を洗い出し、「フィクション」という言葉でハードルを下げた「想定」を加えていく。それを「つまり」で一般化したものこそが求めるべき「知識」。それをもう一度「たとえば」で自分のコンテキストの言葉に置き換えたものが、未然防止のための「予期」なのです。
 ええ、わかってます、ぼくが文章で書いてもまったく伝わらないことは。
 具体的には以下のAmazonアフィリエイトリンクから同氏の書籍を買っていただくとして(ぼくはこの講演を聞いて即買いに行きました)、言っておきたいのは、未然防止の知恵を導くための流れ、フレームワークがあるということです。
 でも、いきなりそのフレームワークを見せられてもダメなんですよ。それは決して複雑なフレームワークではないので、いきなり答えを見たら「ああ、なるほど」で終わってしまう。
 そうではなくて、地に足の着いた泥臭い実例を追体験したうえで、最後に「実はこれは、こういうこと」と仕掛けを目の当たりにする。すると、これまで具体例が伴っていた各論的・具象的なモノとコトが瞬時にはがれ、本質的な部分のみを残したフレームワークを頭が理解するのです。その引き込み方が尋常ではない。ワイルド過ぎます。
 失敗学、そして創造学。これは学ぶべき分野と確信しました。
 詳しくはAmazonアフィリエイトリンクから同氏の書籍を買っていただくとして。
失敗学と創造学―守りから攻めの品質保証へ

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 まとめ

 本当に圧倒され、感服させられる基調講演でした。
 もちろんこのお二人を基調講演に招いた、主催側の眼力にも敬意を払わねばなりません。2日とも、朝から晩まで本当に価値のある場を作ってくださり、本当にありがとうございます。来年もぜひ、参加したいと思います。