ソフトウェアの品質を学びまくる

ソフトウェアの品質、ソフトウェアテストなどについて学んだことを記録するブログです。

【本】知の暗黒時代としかいいようがない

 「科学する」
 何という前時代的な表現でしょう。この古くさいタイトルは、「科学」という態度に対するアイロニーを込めたものだと善意に解釈していました。
 しかし「西洋は物質文明、東洋は精神文明」という極端な二元論、「科学万能の時代に警鐘を鳴らす」といった20世紀的な意気込みが序盤から盛りだくさんで、あらためて本書の発売日を確認してしまいました。1980年代かと思ったら、2011年・・・。
見えない世界を科学する

見えない世界を科学する

 

  しょっぱなの文章「誰しも風を見た人はいない」、次の段落の「人生の有為転変は、人間の創造と理解をはるかに超える」のように、最初のページの校正すらまともにできていないことからして失望を覚えますが、本書の真骨頂は、すさまじい論理展開。「つまり」「なぜならば」「ゆえに」「いいかえると」が間断なく繰り返されます。よっぽど丁寧な論証があるのかと思いきや、唖然とするような飛躍、同語反復、矛盾のオンパレード。ちょっと要約してみましょう。

神の存在を信じる宗教が、古代から続いている
 →ゆえに、神を疑う人はいない
可視光線は電磁波の一種である。人間は電磁波の一部だけしか見えない。
 →ゆえに、人間の科学は自然界の一部だけしか対象にしていないことになる。
 →ゆえに、それ以外の反物質(=ダークマター)を、現代科学では無視していることになる。
 科学が可視光線や可聴領域だけを対象にしているはずはないし、見えない・聞こえない領域と反物質は何の関係もないし、反物質=ダークマターでもない。
 ツッコミどころが多すぎて逆に楽しめるかもしれません。なお、量子力学は、精神世界を科学で理解することへの要請から生まれたそうです。
『見えない世界を科学する』P.21
 これまで、科学者は不可視な精神世界の「宗教領域」に踏み込まないことをもって「科学者としての存在証明」のように考えてきた。そのため、その間隙を突いて科学を無視するような「怪しげな宗教」が台頭し、それが宗教全般を凋落させ、「科学と宗教の溝」を深める結果となってきた。
 しかし、私は、このような深い溝も科学が進歩すればやがて埋まるものと考える。なぜなら、それを比喩すれば、「食は、血となり、肉となり、生命となり、思想となる」という事実こそが、それを証明しているからである。
 この論理の意味が理解できないのは、わたしの不勉強のせいだけではないと信じています。