明けましておめでとうございます。ブログで書きたいと思っているソフトウェア品質関係のネタはたくさんあるのですが、まとまらずに読書感想文ばかり書いた昨年末でした。2011年の最初の記事はやはり!読書感想文です。
そして僕は、『そして、僕はOEDを読んだ』を読んだ(再帰的に)。
辞書として世界最大と言われるオックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)の中に掘り当てた素敵な単語や言葉の歴史を紹介しつつ、読破の記録をしているのが本書です。
たとえば、Petrichor。これは、「雨が長く降らず、乾燥していたところに雨が降り、その時に地面から上がってくる心地よいにおい」を意味する単語だそう。日常英語には該当する単語はないということですが、日本語にはあるのでしょうか。
このPetrichorや、Pandiculation(疲れた時や朝起きた時に、「あーっ」と手足を伸ばす行為)のような、「必要だよその単語!」というものもあれば、Rapin(手に負えない芸術科の学生)のような、目的がまったく不明な単語も愉快に紹介されています。
このPetrichorや、Pandiculation(疲れた時や朝起きた時に、「あーっ」と手足を伸ばす行為)のような、「必要だよその単語!」というものもあれば、Rapin(手に負えない芸術科の学生)のような、目的がまったく不明な単語も愉快に紹介されています。
各章の初めの繰り言から、著者が次第に内省的になり、世間からどんどんズレていくのがわかります。たとえば、こんなくだり。
『そして、僕はOEDを読んだ』 P.168 |
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gloveという単語を読んだ時もいささか心配になった。まず、そのつづりを見て、「なんか変な単語だな」と思った。それから、「どこにでもありそうなこの衣服に関する単語を、なぜ今まで見たことがなかったんだろう」と訝しく思った。そして、「OEDはどうして、1つの単語にこんなにもたくさんのスペースを割いているんだ」と困惑状態に陥った。そして、はっと気がついた。「ああ、『手袋』のことだったんだ。」 |
漱石の『門』に、
何故って、幾何容易しい字でも、こりゃ変だと思って疑り出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程観るほど今らしくなくなって来る。 |
とありますが、ゲシュタルト崩壊な世界に没入しているのですね。
1年かけて読破し、最後の結論が「もう一度、OEDを読みたい。」というのも、病的にさわやかです。
それにしてもこの「大著を読み切るぜ」本は過去に一度読んだ気がしたのですが、『そして、・・・』は2010年11月に発売されたばかり。よくよく調べてみると、3年以上前に『驚異の百科事典男』を読んでいたのでした。
世界一頭がいいと信じて疑わなかった自意識過剰な少年時代と比べて、30代となった自分のこの凡人っぷりは?と思い立った著者が、「世界一頭のいい人間になる!」ことを目指して、Encyclopedia Britannica(3万3千ページ)を読破することを決意する・・・というお話。
ブリタニカの項目をピックアップし、著者の周りの人間やできごとをたくみに織り交ぜていく語り口が絶妙です。
IQの高い人間のクラブでのできごとやクイズ・ミリオネアへの出演といった、「世界一頭のいい」ことにかかわる話もさることながら、随所に現れる「人生」こそが本書の魅力。子供をなかなか授かれない夫婦の悩みや、イラク戦争に対する漠然とした不安、あまりに優秀な義兄とのやりとり、そして常に尊敬の対象でありコンプレックスの源でもある父親との関係。
単に能天気な話かと思っていたら、最後は何だか感動してしまいました。
IQの高い人間のクラブでのできごとやクイズ・ミリオネアへの出演といった、「世界一頭のいい」ことにかかわる話もさることながら、随所に現れる「人生」こそが本書の魅力。子供をなかなか授かれない夫婦の悩みや、イラク戦争に対する漠然とした不安、あまりに優秀な義兄とのやりとり、そして常に尊敬の対象でありコンプレックスの源でもある父親との関係。
単に能天気な話かと思っていたら、最後は何だか感動してしまいました。