科学と宗教。
一見相容れない両者の調和を、「科学側」の代表者ともいえるフランシス・コリンズ(Francis Collins)氏が解き明かしていく。
- 作者: フランシス・コリンズ,中村昇,中村佐知
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2008/09/29
- メディア: 単行本
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現代科学の成果とそれに対する宗教の見解が、適切な引用とともに丁寧に書かれた好著である。
(自分の理解を)簡単に整理すると、
- 宇宙論・進化論・ゲノミクスを初めとして、科学の理論には十分な蓋然性があり、字義通りの聖書の解釈に基づいてこれを否定するべきではない。
- 現在の科学で説明できない事象を説明するために、神を持ち出すべきではない。それは宗教を危険にさらす。
- 一方で、科学では答えられない問いが存在する。宇宙の開闢、人間のもつ道徳律や利他的行為などには、神の存在を感じることができる。
2つ目と3つ目にあたる引用をしておく。
『ゲノムと聖書』P.91自然界に関して人間が今日抱える理解の隙間に神をあてがう信仰は、後に科学が進展してそのギャップを埋めることになったとき、危機に陥るだろう。自然界についての理解が不完全であっても、現在では謎とされている部分に神を持ち出すことには慎重であるべきだ。さもなくば、後に崩壊するだけの神学的議論を不必要に打ち立てることになる。神を信じる良い理由は他にいくつもある。美しい数学的原則の存在や創造における秩序などもその一つだ。これらの理由は、知識に基づいた積極的な理由であり、(一時的な)知識の欠如を何でも神の業にするのとは違う。
『ゲノムと聖書』P.195人間には、進化論では説明できない唯一無二の部分もあり、その霊的な性質は他の生物に例を見ない。これには道徳律や神の探求などが含まれ、歴史を通してすべての人間の文化に見られる特質である。
「弱い無神論者」のわたしにはピンとこない部分も少なくない。わたしは科学を妄信しているわけでもないし、強い無神論者でもないけれど、先の2つ目と3つ目が無撞着とは思えない。宇宙の開闢が現在説明できないからといって、それを神の業を帰するのは、まさに著者の指摘する「隙間の神」に当たるだろう。
なお、論理の飛躍については、著者自身が認めているところ。
『ゲノムと聖書』P.197有神論的世界観によって、神が現実のものであると証明することはもちろんできないが、それはどんなに論理的な議論であれ同じだ。神を信じるとは、いつでもある種の「信仰による跳躍」を必要とするのである。
なのに、本書の最後で「科学者の皆さんへ」として、こんなことを言ってしまう。
『ゲノムと聖書』P.215本書の議論からそのような考えに一石を投じ、あらゆる世界観の中でも無神論こそ一番非合理的であるという点に納得いただけたらと願います。
無神論が一番非合理であることの論理的な説明は一度もなされなかったし、「跳躍」してしまった著者が、自分の与しない立場を「非合理」と決めつけちまうとは・・・。ちょっと納得のいかぬ幕切れではありました。。。